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【Mrs. GREEN APPLE / Soranji】あなたと歩んできた道を、また会えるように進んでいくのだ。

2022年12月9日に公開された、映画『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌として書き下ろされたMrs. GREEN APPLEの「Soranji」。本作は第二次世界大戦後、シベリアの収容所ラーゲリで捕虜となるも、希望を捨てずに生き続けた山本幡男の熾烈な半生を描いた伝記映画であり、運命に翻弄され続けた2人の愛の物語である。

いつもMrs. GREEN APPLEの新しい楽曲を受け取る時は緊張する。ワクワクから来る胸騒ぎを上回ってしまうぐらい、自分の器できちんと受け止められるのだろうかという責任感に背筋が伸びてしまうからだ。それは2018年に開催された「ENSEMBLE TOUR」後のあらゆる誌面で大森元貴(作詞作曲/ボーカル)が語っていた、「(楽曲の本質が)届いていない」という言葉の重みを、その感覚に苦しめられ衰弱していく彼の姿を見ていたから。この経験は私の音楽の聴き方を一変させ、日頃の対人関係での他者との向き合い方さえも変える大きなものだった。あまりに前置きが長くなりすぎているけれど、そんな大森元貴が「これほど潜った曲は無いし、これ以上のものはきっと僕には作れない。」「現時点の僕の最終地点。Soranjiで僕の人生はひとつ幕を閉じたんだと思う。」とまで言う楽曲。食事も水も摂らず、部屋を真っ暗にし5キロ痩せてしまうほどの極限状態で書き綴った曲。ふらっとプレイリストで流れてくれてラッキー!なんて聴き方を絶対に出来なくて、本当に何度も何度も集中して聴き込んだ。

映画『ラーゲリより愛を込めて』、「Soranji」のMV 、各メディアでのパフォーマンス、各種インタビュー記事、ワンマンライブでの披露。一通り見た上で現時点での、この楽曲に対する私の着地点を残しておきたい。結果論として正しい正しくないではなく、この楽曲からうまれた、たどり着いた何かがあるということを失いたくないという、もうほとんど編集者のエゴである。共感で繋がりたいと思って書くわけではないし、私の思想を振りかざしたいわけでもないから、ただただ「Soranji」という楽曲とともに巡った日々を感じてもらえれば嬉しい。

※以下、映画のネタバレを含む記述があります。これから鑑賞される方はご注意ください。

はじめて楽曲を聴いた時は「生きてほしい」という言葉の印象がとにかく強く光っていたから、映画のあらすじ的に(映画は公開前で結末はまだ知らない)過酷な状況下でも前を向くこと、諦めず信じていれば報われる日はやってくるのだと、そんな希望を謳ってくれているのかなと感じながら聴いていた。正直、そんな分かりやすくストレートな内容であるわけないか…?と戸惑いながらも、「生きる」と「信じる」の2つのキーワードにどうしたって引っ張られる。ハッと驚くような言葉の言い回しを繰り出す大森さんが、ストレート過ぎる言葉に装飾を付けないことを選んだ。ここに意味があるのだと、この奥にまだまだ気付かないといけない部分があるぞという、でも掴み切れないもどかしさがあった。

「Soranji」のキービジュアルが公開された時から「浮遊」というキーワードは頭にあって、でもそこに深く潜り込めていなかったものたちが、MVが公開されて一気にドバドバと動き出した。天に向かって浮かび上がっていく姿が、どうしたって死を連想させる。もしかして、もう死を迎えた人(死者)からのメッセージなのかもしれないなと思って、実際に映画を見ると遺言だったわけだけど、そうして作品化された今、映画そのものが死者からのメッセージとなっている。これに気付いたとき、もう二度と今までと同じように「Soranji」が聴けなくなってしまった。

冒頭「今、伝えたいんだよ 私はただ 私はまだ…」が「まだ伝えたいことがある・まだ伝えたいことを伝えられていないんだ」というような、もう死が見えている状況化で、死に向かいながら、生にどうにかしがみ付くような息遣いが感じられて胸が締め付けられる。

そこからサビの歌詞をなぞっていくと、もうそれは何としてでも生きている内にどうにか届かせないといけない「信じて」と「生きて」だったんだなあと。そこに飾り言葉は必要なくて、もっと言えば伝えたいことは、言葉じゃなく気持ちそのものだったのだなと思う。

2番になって「鳥の群れは明日へと飛び立つが 私は今日も小さくなってます」「ゆらり揺れながら 産声が聞こえる 繰り返してる春」はすでに死を迎えてからの描写であると思う。言葉で書き起こすのを躊躇ってしまうけれど、「私は今日も小さくなってます」はシベリアの土の中で眠り、土に還っていった主人公・山本幡男の姿とリンクする。上記で書き綴った真っ直ぐなメッセージ部分と、抽象表現な情景描写のコントラストが美しすぎる。

「大事にして語り継いでくれましたか?」「未来でも変わらず届けられますように」という歌詞は、遺言を仲間に託した山本が眠りながら、家族に思いを馳せる様子が温かく浮かびあがる。もがき、力を振り絞るような1番に対して、どこか安らかな2番が優しくも苦しい。

「暗闇が続こうと 貴方を探していたい だから生きて、 生きてて欲しい」

1番では「生きて、生きて欲しい。」だったのが「生きて、生きてて欲しい」に変わっているのも、「明日へと花を咲かすから 繋いで欲しい。」の歌詞も、もう本人はここには居ないから、だから命ある者へ願い・次の命に繋ぐしかないのだなと思って、雑誌のインタビューで「Soranjiは始まりと終わりの点がくっついたような、メビウスの輪のような曲」と言っていた言葉の意味を改めて理解した。

生まれて、生きて、死んで、また生まれる。死んだらそこでお終いなんかじゃなくて、あなたの生きた足跡は後ろを振り返れば、いつだって辿っていけるように残り続けるし、それから先の未来は、あなたの代わりに道を続けていく人がいる。いつまでも人々の中で生き続けるのなら、死は会えなくなるだけで失うものでなないね、と気付くのでした。

Mrs. GREEN APPLEは死生観が歌に色濃く出ているバンドであるが、ここまで前向きに尊いものとして死を歌ってくれるとは思わなかった。今生きる日々は誰しも死に向っているが、それはきっと悲しいことではない。だから何気ない今日をただ愛して、誇っていて欲しい。

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