身近すぎる商店街の『ブロコ』/パーカッショニスト SEIJさん(執筆:田坂道教)


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 京都精華大学ポピュラーカルチャー学部に「リズムアンサンブル」という授業で非常勤講師として教鞭を振るう方がいる。パーカッショニストのSEIJさんだ。リズムアンサンブルではオーケストレーションを通した音楽のあり方を学び、実際に打楽器を叩いて演奏するということまで体験できる。この授業では「ブロコ・ミュージック」というジャンルのアフリカンサンバを教えている。「ブロコ」とはサンバチームのことであり、サンバ系のグループの名前の前に付けられることが多い。SEIJさんは他にも、小中一貫校の大原学院という学校で小・中学生を相手にダンスやリズムを教え、さらには近所の人たちを集めて音楽をやろうという地域性の高い音楽団体を結成中だ。この音楽団体には叡山電鉄の職員の方や近所の病院で働く若い人たちも参加していて、地域に音楽を通した繋がり方を提案しようというコンセプトで活動している。これが今のSEIJさんの主線となる活動であるが、本文では、そんな地域との繋がりに沿った一人の「ソーシャルデザイナー」としてのSEIJさんの活動を紹介する。

■商店街を歩く音楽隊、地域と繋がる音楽隊

 毎年夏祭りの時期になると、京都の商店街を、打楽器を鳴らして練り歩くという集団が現れる。SEIJさんの率いる音楽隊だ。これはSEIJさんがブラジルで「動きながら音楽隊が行進する」ということに着目して提案したもので、京都の町おこしのような感覚で行われている。京都には「わっしょい!わっしょい!」と言えるような祭りが多くなく、「商店街ぐるみで騒げたら」というコンセプトで動いている。京都の新大宮商店街という大宮通りの北に位置する商店街の夏祭りに13年ほど関わるSEIJさんは、太鼓隊としてそこでの活動も継続してきた。最初は商店街の人たちの反応も良かったが、しかし、年々隊の人数の増加とともに音自体も大きくなり、「うるさすぎる」という声が上がるようになった。そのため、その商店街での活動は休止になりかけたが、反対する人たちがいる一方、「続けるべきだ」という声も上がり、商店街側もバックサポートに回るようになった。そこから商店街の人たちの太鼓隊に対する反対意識が緩和され、それまでよりも意義のあるかたちに変わっていった。その結果、夏祭りに毎年太鼓隊の行進が参加するようになり、いつしか祭りの名物になっていった。
 また、夏祭りが終わった後の1、2週間は、大宮通りの近くの小・中学校で演奏会を開いたり、子どもたちが参加できるワークショップを開催している。10年以上関わってきた商店街での活動は夏祭りでの演奏のみに留まらず、今では地域の学校に太鼓を教えにいくというところにまで発展しているのだ。そこには13年もの歳月のなかでふれあってきた地域の子どもたちの存在があった。10年以上も活動してきたため、小・中学生にとっては「10年間毎年見てきた人たち」という認識がある。そのため、「あのときのあの人たちだ!」という反応がすぐ返ってくる。そういった子どもたちとのコミュニケーションから地域との繋がりを見出していき、さらには継続することで街のなかで一緒にやっていくことの意義がより深まっていったのだ。
 他県の商店街でも同じように太鼓隊をやったが、ネガティブに捉えると「うるさい人たち」という悪い印象が生まれてくる。それをより温かいものにするには、継続性や地域性などが肝になる。アフリカンサンバの太鼓や和太鼓などは、世界的に見ても「トップクラスのうるさい音」だ。人によってはストレスに感じる規模であるが、それが小学校の体育館から聞こえてくると「あの子たちがやってるんだ」という良い印象へとつながる。同じ音なのに、聞こえてくる場所によってストレスに感じていた人の捉え方が変わることにマジックを感じる。とりわけ昨今の「音」の問題は日本では厳しい状況で、いろいろな音が縮小傾向にあるため、静かで品のある音作りへと変わってきている。いいことではあるが、みんなでワイワイ騒げるような音の空間も必要な時があるはずだ。ただ、そういう人たちが自分たちだけでバカ騒ぎするだけでは地域に溶けこめない。より一層「騒ぐ連中」と「地域」という隔たりが生まれるだけだ。地域の人たちと一緒に騒ごうじゃないかというスタンスを長い年月をかけて培っていけば、みんなでそこを目指せるのではないかと、SEIJさんは考えているのだ。では、SEIJさんがそういった地域に関わる音楽活動へと向かっていったきっかけはどんなものだったのだろうか。

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(音楽隊を率いるSEIJさん(写真中央))

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(商店街の音楽隊の様子)

■音楽隊誕生秘話

 ライブやクラブハウスは特定のものを見にくる、もしくはそれに繋がっている人たちが集まる場所というざっくりとしたイメージがある。そういった場所で演奏する過程で、街中で演奏する機会を得てきたSEIJさん。そのときに、犬の散歩をしているおばあちゃんや子どもたちが見ていくといった、ライブやクラブハウスではできないような経験をし、そのことが強く印象に残った。彼らの反応がSEIJさんにとっては純粋なことで、子どもたちのちょっとした行動や耳の遠いおばあちゃんとの太鼓でのふれあいにこそ、おもしろさを感じた。箱での演奏もいい。しかし、地域住民がいる場所で音楽を体感できる場もいいなと思う。魅力的なソリストや名のあるバンドで活躍する人たちとは違ったベクトルで、音楽というものをもっと身近にための道具として認識してもいいのではないかと思う。その原体験が現在の活動に繋がっているのだ。

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(ライブハウスで演奏するSEIJさん(左)と同バンドメンバーの女性(右))

■様々な子どもたちとの関わりと今後の夢

 医療少年院でパーカッションを教えたことがある。少年院にくる子どもたちには様々な事情があり、主に精神疾患を抱えている子どもたちが多くいた。精神疾患は生まれつきの場合もあれば環境が原因で発症することも多く、生まれ育った環境が悪く、家族や親戚など周囲の人間との関係性も良くない(→人間そのものが善くないという一文はだいぶきつい印象なので(彼ら彼女らも環境要因でそうなっているからそこを善くないと批判すると堂々巡り)だから、周囲の人間との“関係性”が良くないなど、言い方を変えてみてはどうでしょう?)。そうなってくると、世界の広さを忘れていってしまう。自分と周りにいる数人の持つ価値観が自分の世界の全てとなり、その狭いコミュニティーのなかで帳尻がうまくいかなくなったら、それを守るため、ときに犯罪もしてしまう。その方向に進んでしまう原因は周りとの接点が少なすぎるからというのがSEIJさんなりの一つの結論だ。であれば、仲のいい友人を多く持つことで、悩みを相談できるという関係性が生まれる。一人で抱えこんで自爆するという結果に終わることがなくなるはずだと考えた。まず、音楽でやれることとして、大人数で演奏することだ。言葉を必要とはしない、指揮や音楽の内容がわかれば参加できるくらいの緩さこそが、彼らにとっては救いになるのではないかと感じた。この音楽から生まれる緩さが各少年院、あるいは学級崩壊をしている小・中学校に存在するだけで、各地域、特に都市部で抱えているコミュニティーをその崩壊から守ることができるのではないか。そんな可能性を感じて活動を行っているのだ。そこでの活動は広い意味で「地域に繋がれた」と感じた。この話における「地域」とは、具体的などこかの地名ということではなく、たとえば「低所得者層」や「シングルマザーの子どもたち」という意味での「地域」である。
 SEIJさんは、これらの「地域」感の獲得を活かし、今後の抱負として「フリースクールの設立」を目標として掲げている。。2018年にフリースクールが義務教育化し、小・中学校以外で教育を受けた場合でも義務教育の修了を認める法案が文部科学省によって成立されようとしている。その際に、周りの同じ志を持った人たちー太鼓を叩く人、絵を描く人、医学を心得ている人ーなどで、音楽だけに留まらない、多くのことが学べる学校を作りたいと、SEIJさんは考えているのだ。

■取材を終えて

 SEIJさんについてお話を聞くうちに、とにかく果てしない行動力を秘めた人だと思うようになった。これらの活動の他にも、海外の楽隊の乱入や、バンド「JARAZIRICA」「DOMINGO」のメンバーとしての活動、太鼓工房の運営など、幅広く活躍している。僕自身にはそういった行動力や発想力があまりないため、活動の目標地点を定め、それに向かって頑張れるという点で、SEIJさんは純粋にすごいと思う。これからの人生のなかで乗り越えられない困難な壁にぶち当たるようなことがあれば、また、今回のようにSEIJさんにお話をお伺いできればと思っている。そして、「フリースクールをつくる」というSEIJさんの「一つの目標」が達成されることを願っている。

関連サイト:http://ilhadastartarugas.jimdo.com(SEIJさんが指揮を務める音楽隊 イーリャダスタルタルーガス)