人と関わるときにはやはり信頼してもらえることが一番大事/パン販売「楽母」・ヘルパー 金指由美子さん(執筆 : 梶正樹)


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 パンが好きだ。もちろん米も好きだが、その暖色の生地の雰囲気や、ふんわりした食感や、挙げるとキリが無いがとにかく様々な理由で私はパンが好きだ。しかし、なぜそこまで好きなのか。ふと考えた。なるほど、子供のときからおいしいパンを食べていたからだ。そのパンは伯母さんが作っているものだった。
 さて、そんな風に食べ物は人の思い出やコミニュケーションと密接に関わっものだ。そこにはこの人が作ったから美味しいだろうな、といった信頼や、この人の為に作るからいつもより腕を上げて料理しよう、といった愛情など、様々な感情も当然のように渦巻いている。
 様々な感情は、社会を浮遊している。ときにそれは混ざり合い、うまく調和する事もあれば、お互いをいがみ合い遠ざけ合ってしまう事もあるだろう。食べ物に感情が付随する事が当然なのであれば、その食べ物に着目、いや、その食べ物を”作っている人”に着目することで、ぼんやりとでもこの社会が抱えている問題、浮遊している感情の色合い、そして何かしらの糸口が見えてくるのではないだろうか。
 ふたたび私はパンの事を考えた。それはどこにでもあるようなパンではなく、昔から慣れ親しんだパンの味だ。私はその味を作る張本人に今回取材した。

■人と関わる上で大切な事

 取材者であるわたしの叔母、金指由美子(かなざしゆみこ)さんは月一度のパン販売「楽母」、そして自分だけでは生活できない、介護を必要とする高齢者のサポートをするヘルパーの仕事をしている。
 「楽母」は、自宅で金指さんを含めて5人のメンバーでやっている。彼女曰く、月一度の販売を楽しみにしているお客さんのために、その場で豆から惹いたコーヒーを入れ、時には買ってもらったパンをその場で食べ、お客さん同士で顔見知りになって会話が広がったり、お客様の手作りの品を展示してみなさんに見てもらったりしているという。そういった、ちょっとした心配りや、なにより美味しいパンがあたたかなコミニュケーションに繫がり、またお互いの情報交換の場にもなっているのだ。そして、来ることができないパン好きのお年寄りには配達サービスも提供し、こういった取り組みが自然なご近所付き合いのきっかけも生んでいるそうだ。
 一方で高齢者介護の仕事についても伺った。「介護の仕事では、一人暮らしのお年寄りの、一日中会話のない寂しい暮らしに生き甲斐を感じるよう、話し相手になったり、片付けられない部屋を掃除し、簡単な料理を作ったりして、清潔に暮らせるよう援助しています」と金指さん。今では、訪問すると顔いっぱいの笑顔で迎えられ、昔の話や家族のことなど何度も繰り返し話してくれて、その人の生きてきた人生の歴史はとても勉強になるという。
 「どちらの仕事も、人と関わるときにはやはり信頼してもらえることが一番大事で、この人だったら、この人が作るものだったら安心できる、そのことに気をつけて仕事をしている」と語った金指さん。共通点のないように見える2つの仕事だが、「コミニュケーション」という点を見てみると、相手に信頼してもらう、ということが共通で大切なのがわかった。また、パンの訪問販売に加え、自転車で回れる範囲の高齢者の方の家にも行っているという金指さん。仕事場が地元という事もあり、お年寄りの昔の話には、自分の記憶と重なる部分があり、話が弾むそうだ。このことで、パン販売以外の輪も出来、趣味の仲間やご近所付き合いが増えたという。

■つっかえ棒

 さて、読者の皆さんにはこういった経験はないだろうか。地元の慣れ親しんだ駄菓子屋が潰れてしまった、よく遊んだ公園がマンションが建つ事でなくなってしまった、そんなに美味しくはないがなぜかたまに行っていた商店街のラーメン屋さんが潰れてしまった…など。こういったときに浮かぶ感情はなんなのだろうか。ささいなことと言ってしまえばささいなことだ。しかし、このささいなことが一人の人間の「心のつっかえ棒」であったりすることはないだろうか。もちろん近所のたまにいくラーメン屋が潰れた事によって、自堕落になってしまう人はなかなかいないだろう。ただ、それが何かしらのネガティブなきっかけになってしまうこともあるのではないだろうか。つまり、大きな視点で見ると、そういったことの積み重ねが社会全体のつっかえ棒を折ってしまうのではないだろうか、ということだ。
 実は私が大学で受講した「ソーシャルデザイン演習」では、「アート」という領域について語り合うことがとても多かった。だが、今回の取材内容に、「アート」というワードは正直どこを探しても見当たらないだろう。しかし、全くの関連性がないと言い切れるだろうか。月に一回のパンの販売、そして高齢者のサポートをするヘルパーとしての仕事。金指さんのこの2つの仕事がつっかえ棒となっている人たちもいると、わたしは思うのだ。社会のつっかえ棒には今どれくらいのひびが入っているのか。もしかしたらもう何度も折れて、今支えているのは何本目、いや何十本目のつっかえ棒なのかもしれない。アートはその折れる原因をあぶり出す力を持っている。そうやってあぶり出している間にも、つっかえ棒にはひびが入り続けている。そんな現状が更に深刻にならないように、ミクロな場で様々な活動をしている人たちがいる。
 そんな風に考えると大々的ではなくとも無意識にソーシャルデザインをしている人たちはたくさんいるのではないか、そういうふうにこの授業を通してわたしは思った。そんな考えから、今回わたしは金指さん(身近という事もあり)に取材する事を決めたのだ。そして、今回の事も踏まえ、久しぶりにパンを食べにいってみようと思う。慣れ親しんだパンの味は、わたしのつっかえ棒の一つなのかもしれない。