自分のやってきた事と社会を、ここからつなげていく/長岡京室内アンサンブル・ヴィオリスト 南條聖子さん(執筆:南條香奈)


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■知らないことを知ろうとする

日々心がけているつもりでいながら、案外できていない事の一つだ。インターネットが膨大なまでに普及し、すでに私たちの日常にまで溶け込んでいる今日この頃。指一本で世界の裏側まで検索できる世の中になったにも関わらず、結局あたり一面にゴロゴロと転がっている日々移ろう情報に埋もれ本当に知らなければいけない事は頭を右から左へと流れていく。

南條聖子(なんじょうしょうこ)は京都在住のヴィオリストである。
5歳よりヴァイオリンを始め、京都市立堀川高等学校音楽科を経て京都市立芸術大学音楽学部を卒業。日本各地にて様々な演奏経験を積みヴィオラに転向。現在「長岡京室内アンサンブル」(※1)メンバーとして、また関西を中心にオーケストラの客演奏者として日々活躍している。

そして彼女は筆者の叔母である。筆者が幼少の頃からよく行動を共にし、互いの様々な話を打ち明け合ってきた。小学校が休みの日の昼下がり、彼女の部屋から聴こえてくるヴァイオリンの音。オーケストラで凛々しく演奏する姿。彼女の音楽家としての人生を、少なからず側で見てきたつもりである。

2017年1月29日、京都の音楽喫茶にて彼女が中心となりイベント「平和の木」が開催された。

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昨年の年末、家族の集まりにて会った際に「新しいことをはじめる」という話を聞いた。その時彼女は筆者にこう尋ねた。
「戦争のこととか政治のこととか。友達とそんな話をしたりする?」
ふと思った。知識として頭にある情報をなぞっての世間話であればしても、自分たちの日常生活に落とし込んで話をしたことはあまりないかもしれない。間違いなく、どこかリアリティを持って考えられていない自分がいる。学校の歴史の授業や人権学習で得た知識を持って成長し、ただ選挙権のある年齢になっただけではないか。そしてなにより、この年齢になって社会問題について「知らない」「あまり関心を持てていない」自分であることが、恥ずかしくてたまらない。

彼女は続いて新しい試みとして開催するイベントの概要を話してくれた。
「戦争を体験した人のお話を聞く。そしてゆっくりと音楽を聴いてもらう。そんなイベントをしようと思っていて。」
今回は音楽家であり、イベントのオーガナイザーである筆者の叔母にインタビューを行うことにした。

まず初めに、開催に至った経緯を聞いてみる。すると、予想外の答えが返ってきた。

■なにより、私が知りたかったから

彼女自身もやはり、日本や世界における戦争や政治についてほとんど知らない自分がいることに対して常々心にひっかかる部分があったという。ひょんなことから似たような気持ちを抱いている音楽仲間が身近に数人いることを知り、彼女が「イベント」という形を持ってその問題と向き合おうと第一声をあげることになる。

「何かをやりたいと心で思うことは簡単だが、実行に辿り着く前に鎮火してしまう意欲が多い」

表現者や企画者ならば、いや、生きる人間誰しもが、日常生活において一度では効かぬほどの回数、この経験をしているのではないだろうか。これがしたい、あれを知りたい。だがその中で本当に形となったり、手に入るものはどれだけあるだろう?数人集まったメンバーの中心となり、様々な感性や思惑が交差する中で一つのものを作り上げるのは言うまでもなく難しいことだ。それでも彼女は、戦争や政治といったナイーブな問題について、自分のように知りたいけど知る機会がない。また話したいけど話す機会がない。そんな人たちが出会える場所を作ろうという思いと、自分自身の学びたいという気持ちを主軸に今回のイベント開催へ踏み切ったそう。何かを新しくはじめる事のきっかけに、「自分の持つ疑問」が大きな原動力になったと話してくれた。

■人と直接話すということ

イベントでは、メンバーの知り合いの戦争を体験された方に、お話を伺う事になったそうだ。その方は幼少期満州にて生活し、終戦の日に攻め込んできたソ連軍から日本に逃げ帰るという体験をされた。しかし、その方は人前で戦争についての話をした経験がなかったらしい。なぜかというと「誰も聞いてこなかったから」。そして今回このイベントではじめてその体験を語られた。集まったお客さんと共にそのお話を聞き、各々純粋に感じたことや気になることなどの意見を交換し合う時間を設けたという。

筆者もよく感じていたことの一つだが、やはり戦争や政治などの話題には「このようなことを聞いたり、口に出して言うのはタブーな事なのではないか?」といったリミッターがかかりやすく、有耶無耶になって消えていく疑問が多い。今回このようなイベントのコンセプトが元々あったことでその壁はいくらか薄くなり、話し手も聞き手も互いが口を開きやすくなるのはとても本質的で、素敵なことだと思った。
このイベントを開催する過程で、親族に戦争経験者を持つ広島出身の友人から聞いたという話では、その方は亡くなるまで戦争についての事を一切語ろうとされなかったそうだ。
「実際に身をもって戦争を体験された方のお話は、言うまでもなくとてもリアルなものだった。そして直接お話を聞いたことで、一方で話したくないという思いを持つ人がいることもまたリアルに感じた」と彼女は言う。

■“社会”と呼ばれているものと“自分” のやってきたことを、どこかでつなげていきたい

またそのイベントでは、運営するにあたり集まった音楽仲間のメンバーたちと、その日のために選曲した「アヴェ・マリア」をはじめとする数曲を演奏したそうだ。
主題となっているコンセプトと音楽を同じイベントに落とし込んだ経緯を、改めて聞いてみた。
「ん〜、音楽と融合したイベントを開こう!というよりは、自分のやってきた事を少しずつでもつなげていきたいと思って。」
社会の動きや戦争、政治に関して知らない事がとても多い中で、彼女が5歳から現在までずっとやってきたのは「音楽」である。小さな部分からでも、そこをつなげていきたい。その過程として一つの形にしたのが今回のイベントである、と彼女は話す。特に日本の今の制度において「音楽」や「芸術」といった文化は、社会の動きと直接的に関係していないといった位置付けに置かれる事がまだまだ多い。ヨーロッパなどに比べて、アーティストが生きづらい世の中であるとも言える。このような誰かの意欲が積み重なり、文化と社会が同じ血を通わせられる。そんな世の中に少しでも近づいていけばいいと感じた。

これからも型にはまらず、様々な視点から社会を考え、つなげていく。そんな活動を続けていきたいと話す彼女の今後に是非とも期待したいところだ。

※1 http://www.musiccem.org/を参照。