進化し続けるオーケストラ、「京響」/京都市交響楽団 シニアマネージャー代行兼チーフマネージャー柴田智靖さん、マネージャー白方里枝さん(執筆:神田鈴子)


白方さん・柴田さん

 京都市交響楽団(以下、京響)は、1956年4月に日本で唯一の自治体直営オーケストラとして創立された。近年ではヨーロッパ公演で大きな成功を収めるなど、各国から高い評価を得ている。
 一方で京響は、市民に近いオーケストラであると私は感じている。なぜそう感じることができるのか。その理由を探るため、京響のシニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖さんと、マネージャーの白方里枝さんへの取材を行うことにした。
 そこでまず2017年7月22日、夏の日差しが照りつける中、私は京都市北区に位置する北文化会館へと足を運んだ。京都市交響楽団が主催する「みんなのコンサート」を観るためだ。

■地域密着型のコンサート

 定期演奏会では、おしゃれに着飾った人々が北山コンサートホールに足を運んでいるのに対し、「みんなのコンサート」では、小さな子供達から、近所のおじいちゃんおばあちゃん、中にはつっかけのようなサンダルを履いている人が北文化会館に訪れていた。このように客層が異なっているのは、「みんなのコンサート」の成り立ちに由来するのだという。
 「みんなのコンサート」の前身となった演奏会は、小学校の体育館で行なわれていた。その当時は無料でコンサートを観ることができ、地元の人々が気軽にオーケストラの演奏に触れることができた。しかし、雨風の問題や、音の問題等があり、設備が整ってからは文化会館へと場所を移した。
 やがて今の「みんなのコンサート」の形になってからは有料になったそうだが、それでも800円という値段は安い。普段演奏会に来ることができない方も来られるようにと、定期演奏会とは別に位置付けているのだそうだ。時代に合わせて形を変えつつも、地域密着型のコンサートというスタイルは変わらない。

みんなのコンサート_プログラム

■様々な人に演奏を届けたい

 演奏会に来ることが叶わない人は、他にも大勢いる。その理由は、経済的に難しいとか、環境的に許されないとか様々だ。だが、そういった人たちにも音楽を聴いてほしいという思いから、その方々の暮らす場所へと赴き、演奏会をすることもあるのだという。
 例えば、病院の院内学級や、養護学校。他にも、母子家庭で生活している子供達がいる施設に行くこともあるそうだ。そういった場合はスペースが限られていることもあり、オーケストラというスタイルではなく、木管五重奏や、金管五重奏といった形で演奏をする。
 演奏スタイルは違えど、演奏会に来ることができない方にも音楽を聴いていただきたいという思いの元、活動されているのだそうだ。

■市民との距離が近いオーケストラ

 演奏会以外でも、京響を見ることができる機会がある。それが一ヶ月に一度の練習公開だ。市民新聞で一般の人を募集して、京響の練習場へと来てもらう。
 そういう日は、練習前に談笑している京響メンバーのレアな姿を見ることもできるし、京響の方に話しかける市民の人もいるそうだ。そういった中で、市民同士の交流が生まれる場にもなっている。
 また、京響との距離が近いという意味では、私自身が所属している京都市ジュニアオーケストラの活動が挙げられる。全国にも様々なジュニアのオーケストラがある中で、京都市ジュニアオーケストラの特徴の一つと言えば、プロのオーケストラとの距離の近さだ。
 京都市ジュニアオーケストラでは、パート練習の指導を京響の団員の方にしてもらえる。レッスンを付けていただき、実際にお話をさせていただく機会もある。さらに、本番の指揮を振ってくださるのは京響の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一先生で、ステージに関しては、京響のステージ・マネージャーに意見を聞きつつ作られているそうだ。
 そしてもう一つ注目したいのは、京都市ジュニアオーケストラには、それぞれのスタイルで音楽に関わっている多様なメンバーが集まっているということだ。
 もちろん音大でクラシックを専門に勉強しているようなメンバーもいるが、私のようにジュニアオーケストラで初めてオケの中で演奏した人や、中には小学生の団員もいる。そこには、ジュニアオーケストラはアカデミーではないのだから、やりたいと思う子はみんな入れてあげたいという思いがあるそうだ。
 実際には一から教える時間が取れなかったり、メンバーの人数調整の関係もあったりして、入団するにはオーディションに合格する必要がある。だが、様々なスタイルで音楽をしている若者が関わり、音楽をする環境がそこにはある。

■京響にしかできない挑戦

 ところで、私が在籍する京都精華大学ポピュラーカルチャー学部の客員教員に、アーティストくるりの岸田繁先生がいらっしゃる。その岸田さんと京響が共に作り上げた曲が、「交響曲第一番」だ。この取り組みは、かなりのチャレンジだったという。
 現代はコンピューター技術が発達したこともあり、簡単に作曲ができる。例えば、普段は他ジャンルの曲を歌っているような人がパソコンで作った曲を、オーケストラとして演奏することができる環境がある。でも、そういったイレギュラーな取り組みには、賛否の声があがる。しかし、京響はそこにチャレンジした。
 岸田さんはロック・ポップスといったジャンルのミュージシャンでありながら、幼少期からオーケストラには親しみがあったそうだ。その岸田繁だからこそ作ることができた、“確かなオーケストラ音楽”。その岸田ワールドを余すことなくオーケストラの所作に乗せて届けるために、京響のアレンジャーの方と意見を交換しながら、「交響曲第一番」は作り上げられた。また、この挑戦自体、京響メンバーの理解がなければ成功しなかった。
 そういった背景から、京都での初演の日、岸田さんがゲネプロの後に読み上げた手紙には、京響の団員に対して、“皆さんが交響曲を作ったと外で言ってくれていいです”といった内容が最初に書かれていたらしい。これが岸田さんの本心だったのではないかと、柴田さんは言う。また、この取り組みによって、ロック・ポップスの一流ミュージシャンである岸田さんに、クラシックの奥深さをさらに感じてもらえたのではないかと。そして、その岸田さんのアナウンスによって、様々なジャンルのアーティストが、クラシックに対して違和感がなくなってくるだろうと。

 「交響曲第一番」は、岸田繁と京響だからこそ作ることができた。そして大成功を収めた演奏会は、京響の間口の広さを示すものともなった。
 これからも京響は、挑戦的なこともできるオーケストラであってほしいし、市民として誇れるオーケストラであり続けてほしいと私は思う。

参考;http://www.kyoto-symphony.jp(京都市交響楽団ホームページ)