会社設立から一転、子供の安全と地域の未来を守る/スクールガード 田原淳好さん(執筆:田原征直)


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愛知県稲沢市。愛知県といえば名古屋市というイメージが強いが、その左横にある田舎町に私の実家がある。実家は親が共働き、祖父母が隠居生活をしているという状況だが、一昔前までは隣にある古い家の一階が、祖父・田原淳好(以下、淳好さんと表記)が設立した会社の工場となっていた。私の父親が祖父の手伝いをし、車や航空機の部品を製作するということだったそうだ。稲沢市というと、田んぼが広がっているイメージが強く、工業が盛んであるイメージは私自身も全く持っていなかった。そんな土地で淳好さんは、高度経済成長期真っ只中に自身で会社を設立、バブル崩壊と同時に会社を辞めることを決意し、空白の数年間を経て突然スクールガードを始めたのだ。彼がなぜスクールガードを始めようと決断したのか、私は気になった。この機会を通し、私自身も祖父のことをよく知ろうと思い、お話を伺うことにした。

■始まりは自分の会社の設立

淳好さんは、専門学校を卒業すると同時に、プレス金型などの設計に携わる神奈川県の電子工業の会社へ就職。その後は、係長に昇進し各地を転々としながら働いた。愛知に転勤し5年が過ぎてから、当時の放電精密加工研究所(HSK)の社長に声をかけられ、そちらの会社に移り働き始めた。
そこでプレス金型のことについて深く学び、自分で金型製作の機械を購入し会社を立ち上げた。会社を立ち上げた理由には、私の父親の病気、祖母の体の不調など。「手術が必要になるかもしれない。お金を稼がなくては。」そんな気持ちが募り、自分の手で会社を作ったそうだ。

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■「当時は地域との関わりなんてなかった」
ただ、広い土地が安く買える。そんな理由で田舎町の稲沢市に家を
建てた淳好さん。近隣の住民とは仲良く関わっていたが、地域とは深い関わりは持つことはなかったそうだ。会社の経営が難しくなってから、私の父親と相談し、自分の会社を終わらせる決断をした。当時淳好さんは60歳。ずっと働きづめの生活をしていたそうなので、貯蓄を利用し、そこから自分の時間を過ごすことに。そして数年後、突然スクールガードを始めるのである。

■気がついたら、地域の安全を守る活動をしていた

ある日、孫が通学途中にいじめを受けていることを知る。通学の人数が少ない地域のグループはいじめの対象になる風潮が、私が小学生の頃は確かにあった。当時はスクールガードをしていた人が全くと言っていいほど存在しておらず、その状況を知ったこととといじめの発見を理由にスクールガードを始める。活動始めた当初は、祖父一人での活動だったそうだ。
孫を送り迎えしているうちに、不審者が増え始めた地域での他の
子供の安全をも気にするようになり、夏の暑い日、冬の熱い日でも体調が良ければなるべくスクールガード活動をするように心がけていた。そうして続けて行くうちに、地域の祖父の友人がスクールガードに参加するようになり、今では当初に比べてスクールガードの人数が増えたそうだ。

■子供の笑顔が見れたらそれで満足

この稲沢という土地に住み始めた頃は地域との関わりはあまりなかった淳好さん。しかし、仕事を辞め老後の時間を過ごしている中で気づかぬうちに地域との関わるきっかけを見つけ、そこから10年間子供の安全を守る活動を一人で続けた。始めは一人の人間のためを思って始めたこの活動が、地域の安全と環境作りに貢献することになるとは本人も想像すらしていなかったという。現在は体調が優れず活動は控えているが、度々散歩するとき、地域の子供達とすれ違えば子供達側から駆け寄ってきて挨拶をしてくれるそう。私の地元に限らず、どこでもこう言った活動家が今後もっと増えて行けば、地域の安全、人と人との関わりが深まり、より良い環境になって行くように思える。私自身は地元を離れて生活しているが、思い入れのある地域なので、今後も見守ってゆきたい。

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