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炎が揺れている 折坂悠太ツアー「オープン・バーン」レポート

10月20日 なんばhatch ライブレポート

芸術の秋、とはよく言ったものだ。

10月から11月にかけて私の好きなミュージシャンの音楽ライブが数多く開催されたので、それらをレポという形で少しずつ連載していく。

なんばHatchでの重奏の様子 撮影:齊藤真吾

 折坂悠太は「折坂悠太ツアー2022 オープン・バーン」と題して、全国8箇所のライブハウスを回っている。今回の形態は折坂悠太(重奏)となっており、バンドメンバーと共に演奏するものだ。去年の「心理」ツアーや、今年夏のFUJI ROCK FESTIVAL’22が重奏の形態としては記憶に新しく、今年9月に開催されたWIND PARADE ’22にも足を運んだ私は、より幅が広がる演奏の虜となった。重奏のメンバーには、パーカション、ドラム、サックス、コントラバス、キーボード、ギターの6人が参加している。ツアースケジュールは10月17日〜11月1日とタイトで、本当の《ツアー》のようにバンドメンバーで《旅》をして演奏している。大阪のなんばに来た時は、まるで『心』の内容、“砂漠の街に バンドが来てる あれを歌おうか やりましょね やまびこのように のびやかに 今日は” の歌詞に、バンドが来た!と重ね合わせてしまったほどの興奮を覚えた。バンドの中心では、オープンバーンを象徴する炎が燃えている。その炎は、石で囲まれ、ゆらめくオレンジの光と共にパチパチと音を発している。音楽ライブで、演者の演奏の他に焚き火の音が聞こえてくるのは異様な空間であったが、そこにはどこか人間の根源からの親和性を感じる。古来の人間は火を囲んで踊り歌っていた。現代では彼がその記憶を呼び覚まさせるように、眼差しは遥か昔に向けられている。

 彼の楽曲は、歌詞のある丁寧な声楽曲が大半だ。それは、歌詞と声が曲を印象付けてしまいがちであるが、ライブにおいて彼が既成曲を歌っているようには決して聞こえない。一度として同じ瞬間がない火の揺らめきであるかのように。時には腹の底から発される叫びであったり、独り言であったりが声の遠近感によって表現される。それはバンドの演奏においても同じで、決して飽きさせることのない2時間半だった。中盤に差し掛かったところ、『さびしさ』は何度も聴いたことがあるはずだが、こんなに間近に風を感じる曲だったのかと驚かされた。母音と子音を一度解体し、間延びさせるように増幅させることによって、言葉のパワーがでる。1音1音に力があることで、連なった言葉に、会場に、風が吹いていた。

折坂悠太 さびしさ

 彼の声は、喉の開き、口の形、歌う姿勢が想像できる。喉を丸く開き、母音が「う」の音を発音する時は唇を大きく突き出し、足を肩幅に開くのだろうと。想像そのままの様子の折坂悠太の歌い方は、音を体現している。

 火と風の安心感をこの身一杯に感じられる彼のライブは、永遠の故郷であるかのようだ。音楽のトレンドには乗らず、普遍的とも言える楽曲を着実に作り続け、毎週水曜日にはInstagramのライブ配信で弾き語りを披露するなど、彼自身からも安心感を感じる。私は折坂悠太と同郷で、鳥取県の大山の麓で育ったのだが、家では焚き火を囲んで家族と会話をするし、寒い時には薪ストーブで暖をとった。そんな火と風と共にある生活をしていた私にとって、折坂悠太自身がもうひとつの故郷のようである。炎に薪をくべ続ける彼の存在は、「オープン・バーン」ツアーによって明らかになった。

なんばHatchでの演奏風景 撮影:齊藤真吾

折坂悠太公式webサイト https://orisakayuta.jp/live/past/

アイキャッチ画像:齊藤真吾

(文 / 西村紬)